✟ さくらんぼのバウンドケーキ ✟
時折、甘いものが食べたくなる。
今時の流行りのような、ごてごてに装飾されたものでも、生クリームやシロップがふんだんに使われている物でもない。
ただただ、シンプルに甘いものがいい。果物そのままでもいいが、それは味気がない。
そして買いに出るのも面倒だ。
そんな気分だった。
ということで、作る。
保存食を保管している棚から、缶詰を一つ掴む。ラベルを見れば、さくらんぼの蜜煮。
まぁいいだろうと、自己確認で一つ頷く。
パンケーキミックスに、牛乳に、卵。それとバターを冷蔵庫から取り出す。
バターは常温に戻るまで放置。
さくらんぼの缶詰を開ける。あっさりと開いた蓋を、いったん流しにポイ捨てする。
缶詰の中身を見るが、予想よりも少なかった。
棚を再び見れば、もう一つ同じサイズの缶詰がある。それも取り出してしまう。遠い記憶で、二つワンセットで買った覚えがあった。
もう一つも蓋を開けて、流しにポイ捨て。
無駄な蜜をコップに移していく。どろりと零れる蜜は、砂糖液だ。これはこれで使えるので、ラップをかけて冷蔵庫に置いておく。
後で紅茶にでも入れよう。
缶詰の一つはそのままで、もう一つ缶詰の中にあるさくらんぼ自体は、まな板の上に出す。
種なしの缶詰だったらしい。よく見ていなかったが、これはこれで都合がいい。
包丁を取り出して、さくらんぼを微塵切りにする。
原型を留めない欠片になった所で、包丁を置く。
次だ。
常温に戻したバターを、白くなるまで混ぜる。混ぜ終わったら、ゆっくりと卵と牛乳を混ぜていく。分離しないように混ぜ合わせ、丁度良く混ざったらパンケーキミックスを入れる。
本当は、粉をふるいにかけたほうがいいのだが、面倒なのでこのままぶち込む。
ざくざくと混ぜていく。
頃合いになったら、まな板の上にある、微塵切りにしたさくらんぼを生地に全て入れる。そのまま混ぜれば、生地がまったりとさくらんぼの色に染まっていく。仄かに淡い赤みが全体に回ったら、長方形の型に生地を流しいれる。
型をトントンと落として、空気を抜く。
残ったもう一つの缶詰に入っている、原型の形を保つさくらんぼを、生地の上に無造作に散らす。
均等なんて面倒なことはしない。所詮、自分の腹の中にはいる物だ。
……俺の他にも食うかもしれねぇけど。
一人で食べてたらショックを受けそうな、食いしん坊に転職した野郎を思い出しつつ、生地に満たされた型を持つ。
オーブンにもなる電子レンジに型を入れて、設定としてオーブンを選択。
次に、システムがお勧めするケーキモードでタイマーをセット。
後は、時間まで放置だ。
このオーブン付きの電子レンジは、地味にエスタ製である。
よく知らないが、数か月前にスコールが購入してきた高性能タイプだ。どんな顔をして買ったのか気になる所だが、手持ちのオーブンも電子レンジも古かったので、有難くキッチンの主として収まった。
一つで二つの役割がある事に、なかなか慣れなかったが。そこそこ便利だ。
中々に使えるなと新家電に納得しつつ、身体はちゃくちゃく動く。
手早く料理器具と流しを片付けて、一息。
時間までのんびりするかと、共用エリアのソファーで雑誌を広げる。
積み本の一つである、今月分の月間武器の特集ページが、ガンブレードだった。
廃れ始めた武器という評判はどこへやら。英雄様様だなと思いつつ、最新パーツ事情を読み込むことにした。
……新規参入?いや復帰参入?多すぎねぇか。
せっかくの特集なのに、複雑な気分をたっぷり味わう羽目になった。
―――――――― ▼ ――――――――
気になる特集以外は流し読み、あとでもう一度読むことにすれば、読書スピードは上がる。
雑誌が三冊目に突入したところで、オーブンが焼き上がりを伝える音声を出した。
集中していて気づかなかったが、いい匂いがする。
焦げてはいないなと判断して、ソファーから立ち上がった。
ぐぐーっと両腕を上に伸ばせば、パキッと小さく骨が鳴った。両肩をぐるんっと回して、吐息を一つ。
「さて、と」
電子オーブンの扉を開けて、型を引っ張り出す。山形に盛り上がり、ふっくらと焼き上がった生地が見えた。
念のために、串を引っ張り出して、生地に刺す。すっと貫通し、引っ張り出しても液体はついていない。中まで焼けている。
長方形のトレーを出す。その上にアルミフォイルを引っ張り出して、備え付けの刃で切り取る。
トレーにアルミフォイルを被せ、その上に型から引っこ抜いたバウンドケーキを置く。
最後に散らしたさくらんぼの数々は、半分ほど生地に沈んだらしい。パッと見て、それほど果物が入っていないバウンドケーキに見える。
皿を取り出して、置く。その間に余熱が少し取れたバウンドケーキを、包丁で半分にカットした。
半分には手を付けず、残りの半分をさらにカットする。薄過ぎるのも、食べ応えがなくて嫌いなので、そこそこ分厚く切る。
微塵切りにされたさくらんぼと、形を保つ大きなさくらんぼが、断面から見えた。そこそこに細切れの果肉も、でかい実も散らばっているので、食べている間に飽きが来ない作りになっている。
……はず。
全てカットしてから、カットした分は皿に積み上げる。
もう半分は、冷えた頃にアルミフォイルで包んで保管すればいい。明日の間食にする。
ひょいっと皿を持って、共用エリアのソファーに戻る。
フォークを出すのも面倒なので、手で食べる。分厚いバウンドケーキを指で摘まみ、くわっと無造作に開けた自分の口に突っ込む。
生地を噛み千切れば、普通にバウンドケーキだ。
パンケーキミックスを使った物だが、究極的に大幅解釈を入れれば、バウンドケーキもパンケーキも要するに生地パンだ。
パンケーキミックスは、拘らなければ、様々な料理の代用品として使えるのもいい。その為、各種粉類を常備するより、パンケーキミックスの袋の方が多くなる。
「……種類、増やすか?」
今は、お気に入りのメーカーの物だけ常備しているが、用途を増やすなら他のパンケーキミックスを試してもいいかもしれない。
流石に、粉の配合や種類を一から考えるのは面倒だ。
調べたとしても、一々調合するのも面倒だ。
ゆっくり時間があり興味が出た時にだけ、やってもいいかもしれない。
ただ、やはり日常使いはパンケーキミックスに軍配が上がるだろう。
……楽だからな。
袋を開けて中の粉を放り込むだけ。
この手軽さは、手放せない。
さてどうするかと、つらつらと次の購入予定を考えながら、残りのケーキを口に放り込む。
小麦と甘酸っぱいさくらんぼの、シンプルな味。
無駄に色々入っていないシンプルさが、今の自分には丁度いい。
片手で雑誌に手を伸ばし、もう片方の手でおかわりに手を伸ばす。
雑誌には手が届いたが、バウンドケーキには届かなかった。
その手をするりと巻き取るように、後ろから手が伸びたから。一本一本の指を絡め取るように、そっと触れる自分以外の手。女にするような丁寧さではないが、雑な手付きでもない。
大切な何かを手に取るような、確かめるような、くすぐったい手付き。
「美味しそうだな」
耳元に囁くように落とされた声に、ぞくんっと背筋が震えた。
思わず振り返れば、無駄に気配を絶ち、無駄に足音を消して、近寄ってきた同居人がいる。
「……帰ってたのか」
「ああ、ただいま」
挨拶もそこそこに。んあ、と口を開けたスコールが、何を求めているのか分かって苦笑する。仕方がないので、手にバウンドケーキを持って、スコールの口元に持っていく。
「ぁ、む」
ぐわり、と大きく開いた口が、毟り取るようにバウンドケーキを食い千切る。もぎゅりもぎゅりと口が動き、満足そうに目が蕩けるのを見る。
手に持っているのも馬鹿らしいので、スコールが口に収めきれなかった部分は、自分の口に放り込んだ。
指についた欠片を、舌で拭う。その後に、ウェットティッシュできちんと拭く。油分が付いている状態で、書物を持つのは嫌だった。
「………………あんた、わざとやってるのか?」
「あ?」
スコールが座れるように雑誌を片付けていると、どこか熱を帯びた声が聞こえた。
そのことに疑問を抱いて振り返れば、いつの間にかソファーの背中側から回ってきたスコールが至近距離にいて ぎょっとする。
「サイファー」
はぁ、と熱い吐息がスコールから零れる。目がどろりと、美味しい物を食べている時とは違う、欲望に満ちた粘っこい視線。
何かを失敗した、と気づいてから早かった。
ぐっと近寄ってきた顔を、その下半分を思わず片手で押さえる。ぱしり、と軽くスコールの口元を押えた自分の手の平が、軽く乾いた音を立てた。
不満そうなスコールのジト目と、睨みあう。
暫く睨み合っていると、ふとスコールの目が和らいだ。不機嫌全開で喧嘩になると思っていたのに、予想外だ。
「……っ!」
その油断は、べろりと舌で手の平を舐められて一気に吹き飛んだ。
思わずスコールを押えていた手を離すと、ぺろりと唇を舌で湿らせて、スコールが笑っている。
「……残念」
そっと零された言葉に、何も反応できなかった。
そのまま、スコールが自室にふらりと入っていくのを見送る。泊まりの任務明けだ。部屋着に着替えたりすると、わかっている。
態々、扉を閉めていく後ろ姿に、そっと吐息を吐く。
……見逃された。
それも、わかっている。
いつもは普段通りなのに、ふとした時に、知らない男の顔をしてくる。
とろりとした、灼熱に炙られた蜜のような、甘苦しい視線でこちらを射貫いてくる。
――――『俺を甘やかした、責任を取れ』
あの日、指揮官室の隣で。
仮眠室で言われた事と、された事を思い出して、少しだけ肩が震える。
責任を取れと、言われても。
「……わかんねぇよ」
先程の視線も、今の悩みも振り払うように、どっかりとソファーに座りなおす。
追加のバウンドケーキを摘まんで食べながら、悩ましい吐息を吐く。
求められている事は分かっている。
何を望んでいるかも、もうわかっている。
それでも、実感がない。
愛や恋など、そんな曖昧なものがよくわからない。よくわからないからこそ、憧れた過去だってある。
そっと指で触れた自分の唇は、いつも通りの男らしい物でしかなかった。
最近、悩ましく考えている事に、サイファーは溜息をつく。
彼は知らない。
その彼自身の戸惑いが、吐息が、気だるさが、彼らしからぬ戸惑いが。
――――人によっては、〝色気〟として見られる事を。
だからこそスコールが、過剰にスキンシップをしていることも。
今のサイファーには、まだ分からない。

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