闇夜に紛れて歩き、途中で駅に設置されたトイレに入って、無難な服に着替えて帰路に就く。
軽い変装をしてバラムガーデンの校門につけば、カードリーダーの守衛に「任務ご苦労様」と言われてしまって、肩をすくめて答えた。
別に任務ではなかった。
個人的な考えで情報を収集しているだけに過ぎないが、現状においてバラムガーデンを自分が出る時は、9割が任務だからかもしれない。
そのままの姿でガーデンの中を歩けば、夜が深まる時間だというのに、訓練や夜更かしでふらりとガーデン内部を歩いている生徒達や、残業中だろう教師の数名に、二度見または三度見をされた。
それを無視して、一直線に寮に突っ切っていく。
容易く辿り着いた自室の鍵を開けて、室内にするりと入る。玄関が閉まったことを確認して顔を上げれば、独特の匂いが鼻についた。
「……おい、スコール?」
共用エリアに一歩入れば、目の前に飛び込んできたのは惨劇だ。
昨日の夜に世話をした時の、比ではない。
ごろごろと転がる酒瓶に、何個か使われているグラス。買い溜めしたのか、サイファーの手持ちではない酒の数々。
あまりの室内の有様に、絶句してしまった。
そして嫌でも耳に届く、んく、んく、んく、と勢いよく飲み干す音。
視線を向けた先、
「ぷはぁっ」
瓶の注ぎ口から口を離した酔っ払いが、ほぅっと満足そうな吐息を吐く。
……直飲みとは恐れ入る。
「スコール」
もう一度呼ぶと、ソファーに腰かける事もなく、床に直に座っている男が振り返る。いやラグマットを引いているから、床そのものではないけれど。
はふっ……と熱い吐息を零して、灰色交じりの青眼は、とろとろとアルコールのせいか焦点を失っている。頬は赤みを帯びて、無駄に色気を振りまいている。
もはや見てわかります。
酔っぱらっていると。
スコールはこちらを見て、数秒こちらをぼうっと見つめていた。そして瞬きを四回程繰り返した後に、ぶわりと目尻からボロボロと涙が溢れていた。
「お、おい……?」
「ずるぃ」
「は?」
「ずるぃいいいいい!!」
ワッといきなり小さな子供が癇癪を起こす様に、スコールはボロボロと涙を流しながら、手に持っていた酒瓶を床に落とした。幸いにも瓶は割れずにラグマットの上をコロコロ転がっている。
「なんでっ!そんな恰好してるんだよぉ!!」
「いや、……はぁ?」
わんわん泣きながら、ボロボロと涙を流して、床の上でじたばたしているスコールに何ともいえない気分になる。
そんな恰好と言われたが、別に無難な格好だ。
フード付きの黒いコートと、軽量アーマーが付いた防弾服は目立つから、駅で着替えて鞄の中だ。その代わりに、無難な白いTシャツ。その上からタンスに眠っていた、黒皮にシルバーカラーのジッパーが特徴的な、ライダージャケットを羽織っている。
髪型はヘアワックスを持っていなかったので、鬱陶しいがオールバックではない。
あと序でに、目元を誤魔化す意味も含めて、昔ティンバーで闊歩していた時に遊びで買った、度が入っていない黒縁眼鏡をかけている。
鞄を壁の近くに転がし、紙袋も隣に置く。とりあえず荷物を退避させて、一仕事をするためにスコールに近寄った。
「あ~、文句は後で聞いてやる。とにかくちょっと立て」
「や!」
「嫌じゃねぇよ。ほら」
「や!!!」
差し出した手を掴まれて、引っ張られる。それを予想していたが、踏ん張る前に物の見事に、押し倒された。これも予想していたので、逆らわなかった。酒瓶が転がっているし、何かあって怪我をされるのも面倒だった。
ただし、腹に相手の頭がクリーンヒットしたのだけは解せない。
息が詰まりそうなりながら、素直にサイファーはソファーに身体を沈める。背中を強かに打つが、何とかなったので良しとする。
はぁ、とため息をつき、自分の腰に腕を回して顔を埋めるスコールを見る。ぐずぐずと泣いている声と、腹当たりの服が湿っていく感じがする。まだ泣いているらしい。
「……今度はどうしたんだよ。泣き虫スコール」
「ずるい」
「何がだよ」
「……盗られる」
「…………ん?」
ゆっくりとスコールが顔を上げる。
涙が滲むその瞳は、先程とは一転して、異様な光を讃えていた。
視線は真っ直ぐにサイファーの視線を射貫いてきて、ぞくりと背筋に悪寒が走った。
動きが嫌にゆっくりに見えた。
そんなはずがないのに、異様な空気を纏って、スコールはサイファーの身体の上に乗り上げてくる。ソファーに腰かけた状態にされ、その上にスコールが乗れば、サイファーは容易に身動きできなくなる。
「そんな、普通の人みたいになられたら、盗られるだろ」
「……何、言ってんだ、お前?」
「だめなんだぞ」
「……っ」
ぞろり、と舌で首筋を舐め上げられて、サイファーは身体が反射的に震えてしまった。獰猛な獣が、美味しい獲物を舌で味わうように、スコールは両腕でサイファーの身体にしがみ付く。
「あの、なぁっ」
「さいふぁぁは、俺の物なのに」
「誰がてめぇのだよ」
「だって、さいふぁぁは」
もう酒瓶が転がっていようが、机の上に乗っている物があろうが、スコールを振り払うつもりだった。両腕に力を入れて、最悪怪我をするにしても、今は酔っ払いに付き合うつもりはない。
すぅっと息を吸って、サイファーが力を入れてスコールの身体に手が触れる前に。
スコールは、うっとりとサイファーを見つめながら、両手でサイファーの両頬に触れてきた。
「俺を〝獲物〟として見てるだろ?」
囁かれた言葉は、サイファーの動きを止めるのに、十分すぎた。
自らの排除に動こうとしたサイファーの両手を、スコールが掴む。アルコールに満たされた脳のせいか、握力の調整がいかず、ギリギリと音がすると錯覚できる程に、サイファー手首を力いっぱいに握りしめる。
「思い出した」
痛みに顔を顰めるサイファーの耳に、そっとスコールは囁いた。
「あの日、あんたが俺を見ていた、あの視線を」
ぎこちなくこちらを見るサイファーに、うっとりとスコールは微笑む。理性が飛び、本能のままに動いている彼は、そこに遠慮という二文字はない。
ただ目の前の、やっと捕まえた相手の本心に、牙を剥いて喰らおうとするだけだ。
「あんた、俺の事、殺したいんだろ?」
はむっと耳を食まれて、サイファーの肩が跳ねる。何かを言おうとして、何も言えず、うろうろと視線をさ迷わせる相手を無視して、スコールは一層身体を密着させる。
「……なに、言ってやがっ」
「俺も、あんたを殺したい」
冷たく硬直した碧眼と、とろりと欲望に酔いしれる灰青眼が、お互いの視線を交わしあう。
「理由はなんでもいい。あんたが、俺を殺したくて、俺もあんたを殺したい」
はぁっとアルコールに犯された熱い吐息が、サイファーの肌を擽る。
何も言えずにスコールを見るサイファーの視線が、凍り付いているのに、それでもスコールは止まらなかった。
「相思相愛だ」
むしろ嬉しそうに、微笑み続ける。
「だから、あんたは俺の物だよ」
「もう一度、あの目で俺を見てよ」
「俺だけ見て」
返事がない事を気にもしないで、スコールは歌うように囁き続ける。
ライダージャケットを剥ぎ取る様に腕を回し、脇腹をつーっと指で触る。びくっと身体が小さく跳ねるのに満足そうに笑って、スコールは再びサイファーの首に口づける。喉仏を舐めながら、獣が獲物の息の根を止める姿を真似る様に、軽く歯を立てる。
「俺以外を、あんたの奥底にいれないで」
「あんたが、感情のまま殺したいのは、俺だけにして」
囁かれる言葉は、サイファーが殺したはずの何かを抉り出して、見せてくる。
耐えきれずに、サイファーの呼吸が荒くなっているのを感じながら、スコールはすりすりとサイファーの胸に、Tシャツ越しに頬を擦り付ける。
「あんたの首は、俺の物だから」
「俺の首も、あんたの物だよ」
サイファーの手が、自分の首を掴んでも、スコールは身動きをしなかった。
ぐっと軽く力を籠められても、拒絶をしなかった。
ただ、とろりと悦に浸った瞳で、サイファーを見つめるだけだ。
予想外の事を言われて、混乱しているサイファーの瞳の奥に、かつて一目惚れをした〝美しすぎる殺意〟を見つけて、嬉しそうに微笑むだけだ。
「だから、誰にも渡さない」
「大好きだよ、さいふぁぁ」
「だから」
ぺろりと舌で唇を湿らせて、スコールはサイファーに笑いかけて、
「……全部、食わせろよ」
彼の漆黒のカーゴパンツを、そのボタンを、秒速で弾き飛ばした。
ガンブレードをぶんぶん振り回せる握力と腕力にて、力の限りに留め具を毟り取ったともいう。
どこか間の抜けた、ボタンが床に転がる音がした。
「……あ?」
耳に届いた音が、やけに耳障りで。
そして下半身が予想外の空気に触れて、サイファーはハッと我に返った。
数年押さえつけて誤魔化していたモノを穿り返されて、異様な空気に飲まれていた事に、気づくのに数秒。
冷静になるまでに、さらに数秒。
ブチっと不穏は音が鳴った、自分の下半身を恐る恐る見れば、カーゴパンツの留め具であったボタンが吹き飛び、そして何より嬉しそうなスコールがジッパーを――――?
「ぎにゃぁあああああああああ!?」
「んや!!!!!」
「嫌じゃねぇえええええええ!!?」
するっと素早く入った手により、むんずっ!とあらぬブツを掴まれて、サイファーは悲鳴を上げる。
もはや何がどうなっているとか、どうこう言ってる場合ではない。この酔っ払いを何とかしないと、サイファーの貞操が今日確実に散る。
「やっ、~~~~やめろっ!はなせっっ!!」
「やだ」
「このくそ酔っ払い!!……んんっ!!!」
捕まれたブツの先を、ぐりっと強めに擦られて、思わずサイファーは上擦った声を出してしまった。一気に顔が赤くなるのが分かる。
その声を聞き、その顔を見て、スコールは欲望に満ち溢れた、どこか正気を失った瞳で笑う。
硬くなったあらぬ所をサイファーの身体に押し付けながら、はぁっとアルコールに満ちた吐息と共に、サイファーの首元を舐める。
「美味しそう♡」
「~~~~俺様は食いもんじゃねぇっっ!!!」
「ひゃぐっ!?」
みぞおちに一発。
悦に入っていた酔っ払いの獣は、正気に戻った騎士に粛清された。
―――――――― ▼ ――――――――
「はぁっ、はぁっ、はぁっ、……くっそ!」
ぐたっとソファーに横たわる暴君を見下ろしながら、サイファーは荒い呼吸を落ち着けるべく、深呼吸を繰り返す。
先程までの、異様な空気によってじんわりと滲む冷や汗ではなく、羞恥による熱さに頭を振る。
ずるっと滑り落ちるカーゴパンツが、何が起こっていたのかをサイファーの脳に反芻させてきて、思わず舌打ちが出た。
ギリギリと歯軋りをしながら、その顔は凶悪に歪んでいる。けれど、その恐ろしさを払拭してしまうほど、サイファーの顔は赤らんでいた。
『ちょっと遊んでみない?』
脳裏に横切ったのは、久方ぶりに出会った、あの女の声。
『サイファーも、満更でもないんでしょ?』
悪戯をする子供のような顔で覗きこんできた、リノアの顔が脳裏に浮かんでは消える。
頭の中の彼女に、反論しようとした口は、何も言えずに唇を噛むだけに留まった。
彼女が選んだ物を押し付けられて、睨みつけたのにくすくす笑っていた、女の幻影を振り払う。
深呼吸を一度。
瞼を閉じて、再び開く。
視線の先には、まざまざと現実が横たわっている。
「人の……」
今はソファーに突っ伏している、元凶の酔っ払いを睨みつける。
声が震えている事に気づきながら、それでもサイファーは小さく言葉を零した。
「人の気も、知らねぇで。……好き勝手に言いやがってっ」
――――3年前のあの日。
実戦授業で、スコールと対戦カードを組まれた日。
自分に負けて地を這い、それでもこちらを睨みつけるその眼光の鋭さに、獰猛な獣のような殺意に。
その意地でも俺に負けてたまるかと、魂から叫ぶような強い眼差しに。
――――〝彼を殺したい(愛してる)〟と叫ぶ、自分がいる事に、気づいてしまった。
気のせいだと信じたかった。
けれど、実戦授業の一環でモンスター討伐に放り込まれた中で。
他の班員が体力切れで本部に転がっているのを尻目に、ふらりと散歩に出た先で。
血飛沫を血肉を切り刻んで進んだ先に、血に塗れて転がるスコールを見て。
――――〝俺の獲物(唯一)〟に何をするのだと、考えるよりも先に身体が前に出ていた。
背中から、スコールの視線は、痛いほど感じていた。
それでも、それに答えるわけにはいかなかった。
振り向けなかった。
今見てしまったら、きっと自分は。
サイファー・アルマシーは、
――――〝スコール(愛しい獲物)〟を殺すと、本能的に理解していたから。
誰かに殺される前に、
誰かに奪われる前に、
俺が愛する(殺す)前に、
スコールの首を跳ね飛ばす自分を、幻視したから。
欲求を殺意に変えて、周囲のモンスターの群れを散々に細切れにした。血飛沫の舞う中で、血肉を飛ばして、生と死の境目で道化のように刃を振るった。
幻視を振り払うように、ハイペリオンと踊り続けた。
……全てが終わっても、しばらく動けなかった。
動いたら、殺してしまう気がしたから。
だから、ガーデンの教師が来るまで、スコールに近寄ることもしなかった。
近寄れなかった。
ハイペリオンでその首を跳ね飛ばして、スコールの頭を抱きしめて、血潮を浴びて笑う〝自分(怪物)〟の幻が、愛してると囁きながら、後ろにいる気がした。
――――こんなものが、愛であるはずがない。
俺は家族を、まともに覚えていないけれど。
唯一、母だろう女だけは、なんとなく覚えているが、錯覚かもしれない。
脳裏に刻まれた俺の知る〝愛のカタチ〟は、まま先生が与えてくれた物だけだ。
……愛しているとか好きだとか。
そういう感情が来る前に、それを理解するより前に、そもそもスコールは同胞だったから。
彼が忘れても、彼が記憶を失っていくとしても、彼は同じ場所からガーデンに辿り着いた、唯一の同胞だったから。
感情よりも先に、彼を大切だと思っている自分がいたから。
それは兄のような感情だったのかもしれない。彼の姉がいなくなった時に、姉に頼まれたからかもしれない。
ただ唯一確かなのは、彼には生きて欲しいと、本心で願う自分がいる事だ。
それと同時に、彼を殺したいと叫ぶ、自分もいると気づいてしまった。
……だから3年前のあの日に、蓋をして捨てた。
今の生活は、それを実感できる事が多かった。
生活がずぼらすぎたから、その世話を焼いて。
馬鹿馬鹿しい事で落ち込む奴を見ながら、適当に面倒を見て。
……彼に対する〝殺意(愛)〟を、全て殺して捨てられていた事に、安堵していたのに。
なのにどうして今更。
今更。
『……全部、食わせろよ』
耳に届いた言葉が、嫌に脳裏に刻まれている。
ずり落ちるカーゴパンツを支えながら、サイファーは深々と息を吐き出した。
自分が捨てたモノを拾い上げる所か、剛速球で打ち返してきた男に、気づいてしまったから。
だってもう、彼は知っているから。
その血が甘いと、知っている。
あの日。
運命の日。
額に傷を刻んだ日に、彼が気絶したのを見つめながら、ハイペリオンから滴るそれは甘かったと。
……彼は知っている。
殺し切れなかった〝怪物(殺人衝動)〟から、見て見ぬふりをしていただけだと、知っている。

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