✟ お手軽なスコーン ✟
寝苦しくて、引っ付いている重しを蹴り飛ばす。
小さな呻き声と、重たいモノが落ちる音がしたが、気にせずに起き上がった。
昨晩は剥ぎ取られなかった、寝相で乱れたルームウェアを少し整える。床に転がり寝ている物体は気にせず跨ぎ、自室を出た。
ここ数日に渡る珍しい連休。今日はその最終日。
朝食をどうしようか考えて、キッチンにある常備棚を見る。
「…………チッ」
思ったより物がなくて、自然と舌打ちが出た。
ここ数日、休日で堕落しきった生活をしてきた。運動不足が嫌で、訓練施設に真夜中に通ったが、それ以外は外出していない。
冷蔵庫も開けてみる。今日だけなら持ちそうだ。
……今日、発注するか。
失敗した。最近は在庫管理ミスがなかったから、油断していた。
ざっと朝に使えそうなものを見て、パンケーキミックスの残りを発見する。
……これでいくか。
電子レンジのモードを切り替える。機能をオーブンに変更し、170度で予熱を開始。
ボールを引っ張り出して、パンケーキミックスを投下。
大さじ2杯のサラダ油に、同量の牛乳を入れて、ヘラで切るように混ぜる。
ざっかざっかと適当に混ぜている間に、耳を澄ませてみるが、気配が部屋から動く事がない。まだあのまま寝転がっているらしい。
……結局、変わらねぇな。
自分の秘匿された秘密が暴かれようと、
恋人という関係性が追加されようと、
身体を重ねる事が増えても、
――――何も変わらない。
関係性のレッテルが増えても、自分たちは結局、〝スコール〟と〝サイファー〟でしかない。
その事に、不思議な安堵感を感じている自分に少しだけ腹が立つ。
ボールの中身から粉っぽさが消えてきたら、ヘラで上から圧をかけていく。
ある程度で、ヘラで混ぜるのが限界になる。それまで纏まってきたら、今度は手を使って塊にする。
握って、押し潰して、圧をひたすらかける。面倒になり捏ねて失敗した事があるので、それはやらない。
一塊になったら丸めて、ひとまず置く。
オーブンモード用の天板を引っ張り出して、クッキングシートを敷く。
中央に生地を乗せて、上から圧をかけて平の円形に。薄過ぎても食べ応えが減るので、そこそこの厚さをキープ。
包丁で生地を押し潰すように斬る。今回は適当に六等分。
満遍なく焼けるように、隙間を開けて並べ替える。
予熱したオーブンに天板を放り込み、今回は20分焼く。
出来上がるまで放置。
使用した調理器具を洗って片付けてから、情報端末を起動。
目的のページに進み、‶ガーデン商店〟へ潜り込む。
必要な必需品をほいほいカートに放り込んで、頭の中でざっと献立を考える。
この辺りの組み立ても、そこそこ慣れたと思う。
やり続けて思うが、バラムガーデンの食堂職員の偉大さが身に染みる。
毎日、近日内で被らないように三食作り続ける。凄まじい技量だ。見習いたい。
一通りカートに放り込んで、決済ボタンを押しながら、くわっと自然と出てきたあくびを噛み殺す。
スンッと鼻で息を吸うと、スコーンの焼ける匂いが漂ってくる。
出来上がりはまだ先だ。それでも準備だけは進める。
何かないかと常備棚を探して、ごろりと転がっていた未開封の瓶入り苺ジャムを見つけた。とりあえず、シンクに置く。
こんなジャムを買った覚えがないと首を捻るが、そういえばスコールが贈答品としてもらってきた事を思い出した。
……使うか。
死蔵して賞味期限が切れるより、ここで開けて使ってしまう。
高級品だろうが知った事ではない。美味しく食べれる間に食う。それがいい。
スコーンに付き物のクロテッドクリームなんて、備蓄にない。今から作る気力もない。
冷凍庫を開ければ、存在感を主張する見知った顔。いつ買った分からないバニラアイスが、挨拶するようにゴロゴロと奥から転がってきた。
……あの野郎。
食料品を貰ったり買ったりしたら、ひとまず冷蔵庫にメモを貼れと言って聞かせたのに、どうやら守っていないらしい。食料品を廃棄したり、賞味期限が切れるのは大嫌いだ。これは思い知らせねばならない。
舌打ちをしながら、バニラアイスの裏側を見る。賞味期限が一週間後だ。
久しぶりに腹が立つが、食品に罪がない。
どうやって思い知らせるか考えながら、バニラアイスを取り出して、ジャムと一緒にダイニングテーブルに置く。
丁度、オーブンが焼き上がりを伝える音がした。
キッチンに逆戻りしながら、紅茶のティーパックを取り出して、マグカップに一つずつ入れる。
キッチンミトンを手に嵌めて、電子レンジの扉を開ける。
焼き上がりのいい匂いが鼻を擽った。一つ割ってみるが、よく焼き上がってる。
鉄板から大皿に出来上がったスコーンを移す。
二つのマグカップにポットからお湯を注いで、適当に小皿で蓋。
スコーンが乗った皿を移動中に、自室の扉が開いた。
「……パンは?」
「ねぇよ」
「…………お米」
「炊くよりこっちが早い」
「………………そうなのか」
「そーだよ」
大皿をダイニングテーブルに置いて、顔を上げる。
自室の扉に寄り掛かり、ぼうっとこちらを見つめる寝ぼけた男。今日は寝起きがよくない日のようだ。
……蹴り落とされて起きない時点で、分かってたけどよ。
時々この男は、どうしようもない程にポンコツになる。
後から報告書を見て改めて思ったが、あの時の〝世界お花畑計画〟なんて、よくぞ思いついたものだと思った。意味不明すぎる。
「おはよう、スコール」
「…………おはよう」
「悪いな適当で」
「……………………どこが?」
心の底から〝あんた何を言っているんだ〟と顔に張り付いているが、無視をしてキッチンに戻る。
マグカップからティーパックを取り出して、三角コーナーに放り込む。
食器棚からスプーンを二つ引き抜いて、ダイニングテーブルに戻った。
時計を見れば、9時を過ぎている。
バラムガーデンの食堂が、学生の朝食タイムを締め切る時間だ。やはり作って正解だった。
あくびをスコールが噛み殺している。髪を手櫛で整えたのか、乱れた髪のままスコールが椅子に座っていたので、マグカップを適当に押し付ける。
「ありがとう」
「…………おう」
最近、本当に素直に礼を言われる事が増えた。
少し調子が狂う。まるで隠そうともしない熱視線も、まだ慣れない。
……仕事が始まったら、どうなるってんだよ。
連休ずっと一緒でこれだ。
仕事で離れる時が、少しだけ怖い。
悩んでも仕方がない事に首を振って、椅子に座る。
「「いただきます」」
示し合わせたわけではなく、自然と言葉が重なった。
スコールが苺ジャムの蓋を開ける。
こっちは、バニラアイスの蓋を開けた。
焼き上がりを確認する為に割ったスコーンに手を伸ばすが、こちらの手が届く前にスコールに攫われた。思わず視線を開ければ、こちらを見もしない。
スプーンで、豪快に苺ジャムが取り出される。並々と山盛りになった、美しい赤い果肉のジャムを豪勢にスコーンに乗せるように塗る。
……塗ってねぇな、あれ。
もうスコーンに、ジャムの塊が乗ってるレベル。
真っ二つになったスコーンの片方が凄い。そのジャムの塊の上に、折れた片割れを乗せる。
何をする気か、すぐに分かった。
ぐわっ!と大口が開く。真っ二つに割れたスコーンに挟まれた苺ジャム。一つの塊となったそれが、豪快な獅子の口に飲み込まれた。
もっぐ、もっぐ、と勢いよく噛んでいる。
両頬をパンパンにさせて、上下に動く口。目はキラキラ輝いていて、表情が美味いと伝えている。
いつも通りのスコールを見ながら、スコーンを二つに割る。
バニラアイスをスプーンで取る。半分のスコーンにそれを乗せて、そのまま口に放り込んだ。噛むと、さくさくとした触感が響く。固く成り過ぎなかった中身も、噛むほどに解れて口の中に広がる。
クロテッドクリームの代わりだが、バニラアイス乗せのスコーンも美味い。
……ただ水分が不足するよな。
スコーンは嫌いではない。好きな物の一つだが、口内の水分が一気に消えるので水分補給は欠かせない。紅茶を一口飲むだけで、口の中がじんわりと水分に満ちる気がした。
ジャムの瓶を引き寄せて、スプーンでジャムを掬う。凄く減っているような気がしたが、一口がデカい男が目の前にいる。納得の減り。
ジャムをもう半分のスコーンに乗せて、口に放り込む。どちらも美味いので、いつも通り出来たようだ。
自己評価をしながら、スコーンを割ってのんびり食べている間。
スコールが、バニラアイスと苺ジャムを乗せた欲張りスコーンを、大口で放り込んで噛み砕く。一人三つの計算だったが、やっぱり足りないだろう。
「食うか?」
こちらが二つ目のスコーンを食べてながら、手付かずの三つ目のスコーンを目線で示す。
目線をこちらに向けたスコールは、どこか呆れた顔をしていた。
「いらない」
はふっと満足そうな吐息を零して、スコールが紅茶を啜る。
……いらねぇなら、いいけどよ。
三つ目のスコーンも、半分に割る。残り少なくなったバニラアイスを、半分に乗せて食べる。残り半分は、そのまま何もつけずに食べた。
苺ジャムも残り少ない。残して次回に回すには少ないので、残りを全て紅茶に入れた。少し温くなっているが、溶けるだろう。
苺ジャムが溶けて甘くなった紅茶を啜りながら、ふと思う。
「スコール」
「……ん?」
まだ眠いのか、どこかぼんやりしているスコールを見る。
肉類はまだある。野菜は心許ないが、散歩を兼ねて町に降りて買ってもいい。
……ガーデンの麓ぐらいなら、なんとかなるだろ。
時々変な輩が湧くので、外に出るのが億劫だ。最悪、狸から使用制限を受けている〝疑似魔法で飛べる〟が、奥の手は見せたくない。
それでも、流石にガーデンの膝元近くで騒ぐ奴らは少ない。だからきっと大丈夫だろう。
「今日の夕飯は、何が食べたい?」
昼食はありあわせで、何とでもなる。
ただ今日は時間があるので、夕食は好きに作れそうだ。普段、時間の関係で出来ない料理も、今日は要望通りできるだろう。
なんなら一日、いつかの為の作り置きを作ってもいい。
ただ作り置きを作るとしても、食材が届くか買い出しに出てからになるか。
今後の案を考えていると、紅茶を飲み終えたスコールがこちらを見た。
「あのハンバーグ」
間髪入れずに答えが返ってきた。
迷う素振りもない。
そして、どんなハンバーグが欲しいのかすぐに分かる。
スコールが〝あの〟と言うハンバーグなんて、小塊の残った雑切り肉とミンチ肉の二種類を使ったハンバーグしかない。
肉好きのスコールらしい要望だ。
「お前、本当に」
俺のハンバーグの作りは、基本的に同じだ。
ただ肉の種類や、割合が違ったりするだけ。
色々と作ってきたが、スコールは絶対にこの組み合わせが好きだった。
肉が好きなだけかと思っていたが、要望を聞くと高確率で〝このハンバーグ〟になる。
他のハンバーグを作ると、なんとなく萎れた空気になるから、分かりやすい。
……すっげぇ、あからさまだし。
「なんでか、〝あのハンバーグ〟が好きだな」
理由が本当に分からない。
どうして〝このハンバーグ〟が好きなのか、皆目見当もつかない。
肉感がゴロゴロしている食感は、食べ応えがあって俺も好きだ。好きだからよく作ったり、冷凍庫に作り置きをしている。
そして作り置きすると、当然のように消費が激しくなる。しっかり焼いてから冷凍するから、一ヶ月程度は保存できる。だが一ヶ月、冷凍庫にハンバーグがあった試しがない。
目の前の馬鹿のせいで。
「当たり前だろ」
素朴な俺の疑問は、バッサリと一刀両断された。
どうして質問されるのか分からない。デカデカと顔にそう書いてあるスコールと、真正面から目が合う。
どうして分からないのか。そう、スコールが目で訴えてくる。
だから知ってるわけねぇだろうが、と目で訴える。
沈黙の会話。
石の家で、二人で過ごした日々の中で、自然と生まれたもの。バラムガーデンに入校してから、記憶を失う前も後も、そこそこお互いにできる沈黙の同意。
簡単な会話なら、お互いに目を見るだけで、何を言いたいのか分かる。
お互いに、それで理解できる。
ただ最近は、あまり読み切れなかった。スコールが何を考えているのか、よくわからない事が多い。
今思えば、全部こいつの煩悩の塗れた思考だったのだろう。
たぶん。おそらく。きっと。
憶測だらけだが、要するに恋愛脳から出力される沈黙の主張は、俺にはまだ難しい。
……理解したら、終わる気がする。
現に、今もよく分からなくなってきた。
こちらの困惑を知ってか知らずか。
「あんた、本当に俺の事には鈍いな」
「……悪かったな」
「いや」
ゆっくりと瞬きをして、こちらを見た男が笑う。
それが、今まで見たことがない表情で、どう対応していいのか分からない。
「それだけあんたにとって、俺が日常の一部なんだと実感できて、最近は楽しくなってきた」
笑いながら言われた言葉も、理解できない。思考が停止しそうになる。
本当に、こういう時に困る。
……違うな。無視すりゃいいのに、困る時点で俺もおかしい。
沈黙をなんと解釈したのか、スコールが笑う。
その無駄に綺麗な顔が、ものすごく嬉しそうなのが、本当に癪に障る。
「あのハンバーグはな、サイファー」
まるで、大切な宝物を披露する子供のように。
あるいは、自らの原点を振り返る少年のように。
それを全て踏み握るような、酒に酔っているような恍惚とした瞳を、こちらに向けて。
腐るほど顔を見飽きたこの俺でさえ、美しいと思う。
見慣れない者が逃げ出しそうな、そんな微笑みを浮かべた男の言葉は、
「俺が一番、幸せだと思う味なんだ」
何年経とうと、絶対に過大評価だと思っている。

※コメントは最大500文字、5回まで送信できます