✟ 分厚いバタートースト ✟
「あれ?スコール休みじゃなかったか?」
「お帰り。休みだったが、色々と都合をつけたいからな」
任務から帰ってきたゼルに、さらりと返事を返しながら、スコールは机の上の仕事を片付ける。
朝から片付け続けた仕事は、もう無くなった。
「……よし」
最終チェックをして、提出物の山に放り込む。
バラムガーデンの事務仕事が、全てデジタル化される事はない。セキュリティと防衛面において、アナログとデジタルの両方を駆使する事が決定している。
つまり、手書きでサインを書き続ける日々は、終わる事がないという事だ。
……面倒だな。
それでも、超科学大国エスタなんて技術躍進国が、沈黙を破って出てきたご時世だ。エスタに敵がいないとも限らない。警戒や防衛はやり過ぎぐらいが丁度いい。
「じゃぁ、俺はこれで」
「お疲れ様。何かあったら連絡するわ」
「そうしてくれ」
「お疲れさん!」
「ああ」
今日の当番の一人だったキスティスに挨拶して、報告書を頭を抱えながら作っているゼルに手を振り、さっさと指揮官室を出た。
足取りは軽い。
寮室に戻っていく道中で、考えるのは一人の事だ。
……正念場が、今日であることは分かっている。
サイファーが俺の腕の中に落ちてきた事は、本当に嬉しい。
でもそれは、全部じゃない。
俺は全部欲しい。
……サイファー・アルマシーの、全部が欲しい。
俺は欲張りだから。
欲張りで強欲で、守りたいモノや欲しいモノが手から零れ落ちるのは、我慢ならない。
サイファーを捕まえた時から、捕まえてバラムガーデンに引きずり込んだ時から、ずっとあった違和感。
その正体をやっと掴めた。
……こっちを向け。
俺を見て欲しい。
俺だけ見て欲しい。
生きる目的が、生きる道が見えないなら、俺が引き摺って歩くからずっと傍にいて欲しい。
だからこそ、死者に惹かれずに、俺だけを選んでくれ。
―――――――― ▼ ――――――――
意気込みに勢い余って、自動扉が開閉しきる前に強引に入った自覚はある。
落ち着くために、深呼吸を一つ。
戻ってきた自動扉。その裏側に張った自分のメモを剥ぎ取って、適当に丸めてゴミ箱へ。
共用エリアに足を踏み入れると、ルームウェアを着て、ソファーに座っているサイファーがいる。
「ただいま」
返事はないが、動きはあった。
ゆっくりとこちらを振り返るサイファーの口に、トーストが入っている。
分厚いトーストだ。齧り取った部分に、くっきりと歯型が分かるぐらい、分厚い。食べ応えありそう。色合いとして見ると、塗られているのはバターだ。
「一口」
「うるせぇ」
上着を脱いで、ソファーに近づいて横に座る。好奇心で頼んでみるが、不機嫌そうに一刀両断された。
視線がお互いに合っている中で、サイファーが綺麗な口を開ける。見た目にもわかる綺麗な歯並びのそれが、分厚いトーストに襲い掛かり、噛み千切る。焼けてサクサクした所と、中のモチッとした触感を、やすやすと想像できる光景。
「一口」
「…………」
もぐもぐと口を動かすサイファーの視線。それを真正面から受け取って、懲りずにもう一度だけ頼んでみる。
どこか呆れたような顔で、トーストを差し出された。よし勝った。
有難く、大きく口を開けて噛み千切る。
舌に乗るバターの味。トーストの小麦の味も美味い。
「何の用だ。ケダモノ」
「ひどい言い草だな」
「扉に変な言葉を貼り付けたピンク脳に言われたくねぇ」
思わず、まじまじとサイファーを見てしまった。
不機嫌が形となったと言ってもいい、機嫌が悪すぎるサイファーが、こちらを睨みつけてくる。
「いや、あんた。今の状況を理解してないな?」
「……はぁ?」
どこか気怠い空気を纏って、トーストを齧っている。
予想外とよく言われる、目尻が垂れている碧色の瞳も、どこかトロリと溶けたような怪しい雰囲気がある。
普段の性的な匂いも空気もない、凛とした空気の一方で、狂犬のような威圧感を放つ男とは到底思えない。
このまま外に出たら、惚れて目が曇ったと言われようとも確信して言える。明日のトップニュースが、このサイファーの事になるバラムガーデンの未来しか見えない。
それ程に、色香を漂わせた姿。
「あんた、今エロい」
「……はぁ?」
「いや本当にエロいから」
「頭湧いてんのかクソガキ」
「俺があんたを食ったせいで、今のあんた色気モンスターだから、外出禁止なんだよ」
「湧いた頭で新種のモンスターを作るな殺すぞ」
最後の一口を放り込んで、サイファーに睨まれる。
そこまで何かしたのかと首を傾げて、
「三日も俺様を好き勝手にした野郎なんざ、ケダモノで十分だろ」
サイファーが勘違いしている事に気付いた。
確かに何一つ情報がなく、三日も時間が経過していたら、そう思う可能性はある。
ただ流石に俺でも、三日連続は無理だ。
色々と厳しい。ナニとは言わないが。
このままだと不名誉なレッテルを張られそうなので、訂正しよう。
「あんた勘違いしてるぞ」
「あ゛?」
「三日間、俺が無茶苦茶してたんじゃない。二日目のあんたは、意識を失っていたんだ」
「…………はぁ?」
きっと予想外だった俺の言葉に、サイファーは顔を顰めた。
俺も予想外の事だったから、本当に驚いた。
カドワキ先生にこっそり相談したら、ついに腹上死させたのかと冗談交じりに言われ、「始めてだ!」と叫んだのは不覚である。
無駄な情報を露呈させてしまった。ごめんなサイファー。
しかしサイファーが朝起きず、意識が浮上しなかったのは事実だ。
ずっと眠っているサイファーを見て、イデアにこっそり聞きに行くと、思わぬ所から情報提供が来た。
「オダイン博士に聞いた」
「……何を?」
突如として言った名前に、サイファーは疑問に思わなかった。
その様子に、確信を強めていく。
「あんたの両親の事。母親は魔女で、父親がシュミ族と人間の亜人ハーフだって事」
サイファーは、オダイン博士と繋がりがあった。
正確には、オダイン博士と、サイファーの母親。魔女アルマと繋がりがあった。
だからこそ、オダイン博士はサイファーを助けた。
俺達との最後の戦い。四度目の戦いの後、サイファーの姿を見なくなった。エスタ国内で回収されたにしても、ラグナから話も出てこなかった。
後から聞いたら、ラグナも仲間達とサイファーの姿を探したが、見つからなかったらしい。
なんてことはない。
オダイン博士が密かに開発した、お手伝いロボットの中に回収されて、何食わぬ顔でオダイン博士の魔法研究所に運び込まれていたらしい。
そこでオダイン博士はサイファーを治療した。
治療して、一緒に時間圧縮を迎えた。
その時の事を尋ねても、それ以上はオダイン博士は口を割らなかった。
絶対に言わないという決意を見て、色々知りたい俺達も何も言わなかった。
それ程に、オダイン博士と、おそらく魔女アルマは繋がりが深かった。
オダイン博士が、サイファーを助ける程に。
「だから、あんたの身体は純血の人間ではなくて、遺伝的にクォーターだって」
サイファーの様子を見ながら、情報整理を兼ねて話しかける。
怒るようなら、話をここでやめるつもりだった。
けれどサイファーは、怒らなかった。何の感情も、表情に浮かんでいない。
ただ、こちらをじっと見つめている。
「…………何が言いてぇ?」
「あんたの身体が、人間の肉体構造として考えると、筋力に対して身体が痩せすぎな事。本当なら雷神ぐらい筋肉が付いているはずだ」
サイファーの事を、知りたかった。
俺は全部知っているつもりで、全然あんたを知らなかった。
「あと、疑似魔法の速度。使用理論を最適化したとしても、出力が俺たちと桁違いに違いすぎる。まるで別物だ」
石の家に来る前のあんたの事なんて、本当に何も知らない。
知っている人達だって、教えてくれなかった。
だから、悪い事だと分かっていて、全部掘り返してきた。
掘り返した事を正直に言って、怒られるならば怒られてもいい。
サイファーが、自分に何も言わずに、消えてしまう方が恐怖だった。
惰性で生きていると、知っていたから。
……あんたは俺が気付いている事に、気づいてなかったよな。
いつか何も言わずに消えてしまいそうで、怖かった。
だからあんたの情報端末に、発信機を埋めた。
それが発覚した時に、怒られなかった事に安堵さえ抱いた。
……そんな俺の恐怖なんて、あんたは知った事じゃないだろうけど。
捕まえて傍に置いて、有頂天になれない。
そんなあんたの様子が、いつだって怖かった。
だから真実が知りたかった。サイファーの事が知りたかった。
俺から、サイファーを奪いそうな全部を壊したかった。
……我ながら重すぎる。
けれどそれが俺だから、諦めて欲しい。
「全部、聞いてきた。学園長にも、イデアにも」
「…………そーかよ」
「うん」
サイファーの顔は、無表情だった。
まるでこちらを窺うような視線に、それを真っ向から受け止める。
逸らしてはいけない。ここが正念場だと、理解しているから。
……あんたに、知って欲しかった。
俺が本気だって事を。
本気で、あんたと生きたいって思っている事を、知って欲しかった。
「あんたが、シュミ族と人間の血を引くクォーターだからこそ。シュミ族の遺伝子が、〝あんたの内面に合わせて、あんたの身体をカスタマイズしている〟事を、聞いてきた」
シュミ族は、不思議な亜人一族だ。
トラビア北方のヴィンター島。そこで出会ったシュミ族も変わっていた。一番驚いたのは、人間のようなシュミ族がいた事。そして、ムンバがシュミ族の最終形態の一つである事だ。
人間っぽくなるにしても、ムンバになるにしても、他の何かに至るにしても。遺伝子的にどういう働きをしたらそう成るのか、皆目見当がつかない。
オダイン博士が理論をマシンガントークしていたが、理解できたのは一部だけだ。
「あんたは、同じ体格の人間に比べて筋力が桁違いだし、疑似魔法の使用速度も威力も段違いだ。〝サイファーの望みに合わせて、身体の仕組みが最適化していくから〟だと、オダイン博士が言っていた」
シュミ族は、嘘がつけないという事。
口から嘘が飛び出ても、心が嘘をつけない事。
それだけは、脳裏にしっかりと刻んできた。
サイファーにも流れている、不思議な血だから。
「シュミ族がムンバになったり、人間になる。それほどの劇的な身体構造の変化はない。それでも、内面が目的に合わせて遺伝的に変化していく事」
それを聞いた時に、納得してしまった。
サイファーの、G.F.ジャンクションの副作用率が低い理由。ジャンクション嫌いだとしても、バラムガーデンにいる以上は0にはできない。
それでも、昔の記憶を沢山持っている理由。
「あんたの身体は、G.F.をジャンクションしても、俺たち純血の人間よりも〝脳が危機に対して防衛の最適化を行うから、副作用のリスクが圧倒的に低い〟事も」
たぶん、昔のサイファーの心と、シュミ族の遺伝子が噛み合った。
忘れたくなかったから。
サイファーは、昔の俺を忘れたくないと願ってくれた。
願ってくれたから、心に従う血によって、サイファーの身体が変化した。
G.F.の専用回路を生み出すという、人間ではありえない脳構造の改革によって。
「疑似魔法の使用理論。最新ともいえる改訂版。学会で発表されたあれはブラフ。本当は、副作用を圧倒的に低くする脳構造の解析、もしくは道具開発の為の分析だ」
サイファーの脳を研究したかった、オダイン博士の理由。
その一方で、おそらくサイファーを守る為に、オダイン博士が世間に出した一手。
「でも真実は、あんたの疑似魔法に違和感を抱かせない為。その遺伝子に注目されないように、利用価値のある偽造背景を発表した事」
聞いた時は、耳を疑った。
確かに、エスタが隠そうと思う事だ。
サイファーである前に、もしサイファーの血筋が発覚した時。
サイファーの母が、魔女の一族だからではない。
サイファーの父が、シュミ族の血が入った存在である事を、隠さなければならない。
これが発覚してしまえば、シュミ族に危険が及ぶ。
シュミ族の遺伝子が、とても魅力のある軍事利用できる研究材料になってしまう。
それは一歩間違えれば、人間と亜人の戦争に発展しかねない。
だからエスタは隠す事にした。
イデアと学園長も沈黙した。
オダイン博士も、あれ程に科学狂いなのに。エルオーネとは違って、サイファーだけは守るように動いている。
……何かあれば、暴走したオダインの説得をサイファーに頼む予定のラグナには笑った。
それ程に、オダイン博士にとって魔女アルマは特別だ。
あまりにも特別だった。
……「赤ん坊の魔女の騎士の健康診断をしてたのは、オダインでおじゃる!」って言われた時は空気が凍ったが。
けれどその一言で、サイファーに必要な話は全部吐き出させた。
最終的にオダイン博士と俺の口論になって、部屋の隅っこで全員が固まっていたが知るか。
形振り構っていられる程、俺に余裕なんてない。
「……それで?」
おそらくサイファーは俺の話を飲み込んで、次の行動を考えている。
自分が危険物であるという、その一点で考えている。
それが透けて見えた。
でも、それは杞憂だ。
杞憂で、考える価値もない。
「もの凄く、安心した」
「……あ゛?」
サイファーの顔が不機嫌に歪む。
俺の反応が、自分の予想と違っていたからだ。
シュミ族と人間のハーフ。そもそも亜人と人間の間に、混血の子供が生まれることは稀だ。俺もあまり聞いたことがない。
もしくは周囲が子供を守るために、秘匿しているのかもしれない。
……しかも、サイファーはそこから一歩進んだクォーター。第二世代だ。
サイファー自身が、シュミ族と人間の未来を左右する情報の塊だ。エスタが情報戦略における防衛を選択する程、その情報は機密性が高い。
他の情報にも色々聞いてきたが、今必要なのは一つだけ。
「あんたが二日目に寝込んだのは、あんたが俺の事を大好きだからだ」
ゆっくり、サイファーが瞬きをする。
そういえばその話だったと、顔に出ている。
珍しい。余裕がないのかもしれない。
……まぁ、余裕を奪う為に、サイファーの秘匿された遺伝子情報を話したのは俺だが。
人の秘密はとても甘い。
でも他人の秘密に、興味なんてない。
サイファーの事だから。なんでも知りたい。あんたの秘密だから、俺にとっては宝物だ。
「あんたはちゃんと、俺の事を好きなんだ」
学園長に聞いた。
昔、あんたが泣けないほど辛い思いをして、石の家に来た事を。
そのせいかもしれない。
愛を理解しているのに、理解できない顔をしている。
本当は分かっているのに、それが実感できていない。
きっと、それがサイファーの現状だ。
けれどサイファーの心は、頭が追い付いていなくても、確かに俺を愛してくれた。
だからこそ、二日目のサイファーは眠っていた。
それを理解させたい。
「あんたは一日目の行為で〝俺を学習〟して、俺に合わせて〝身体を少し変えた〟」
言われた事が理解できないのか。
俺を見つめたまま停止したサイファーの、その投げ出されている手を掴む。
「……っ」
何かを言おうとして、失敗した呼吸音。
じっと見つめると、信じられないモノを見るように、俺を見ている。
サイファー自身が信じられない事は、理解できる。
俺も通話でオダイン博士に説明を受けたが、信じられなくて二度聞きした。
到底、常識では信じられなかった。
けれど、三日目にそれを実感した。
「二日目に眠ったのは、身体を俺に合わせる為だ。身体の作りを本当に少し変えるだけでも、身体負担は強い。だからあんたは、ずっと眠っていた」
身体負担を避ける為に、睡眠時にゆっくりとサイファーの身体が変化した。
細胞組織の活性化によって、僅かに発熱もしていた。
だから最初は、負担をかけてしまったかと不安になって。
発熱に気づいて、風邪を引いたのかと慌てて。
全く起きないあんたが怖くなって、瞼を指で開いたけど、視線が合う事はなかった。
慌てて保健室に走った事に後悔はない。
イデアに聞いて、オダイン博士に鬼電して。
やっと安心して寮室に戻ってきても、あんたは眠ったまま。
……ちょっと腹が立ったけど。
でも起きた時に、本当に嬉しかった。
極端に痩せたり、太ったり、身長が変わったり。そういう外見の変化はない。
それでも、
「三日目の昼。日の光の中で見るあんたは、最高に綺麗だった」
ぼんやりと寝起きで、こちらを見るサイファーの様子がおかしかった。
おかしかったけど、いつもの鋭い視線が嘘のように、甘ったるい視線でこちらに笑いかけてきたので。
思わず食った。
たぶんサイファーの三日目の記憶がないのは、そのせいだ。
つまり俺のせいだ。
でもその結果はすぐに分かった。
オダイン博士の説明の意味を、本当の意味で理解した。
「あんたがエロすぎて、三日目の朝に食ったけど。あんたの身体は確かに変わっていた」
理解が追いついたのか、サイファーの顔色が変わる。
「待て」
「待たない。どんな気持ちが切っ掛けだったかは聞かないが、凄く嬉しかった」
「待てって」
「待たない。本当に三日目は凄かった。一日目の比じゃないぐらいだ」
「……やめろ」
「やめない。なぁ、サイファー」
先程とは打って変わって、全くこちらを見ない。
顔を背けて無防備にこちらをむいている耳に、そっと囁いた。
「あんたの中、すごく気持ちよかった」
「~~~~っ!?」
動揺を振り払うように大きく息を飲んで、こちらに殴りかかってきた腕を掴む。
片手は既に拘束済みだから、この腕を掴めば終わりだ。
お互いに寝台の淵に座っているから、足を振り上げるよりも、俺がサイファーを押し倒す方が早かった。
これが身構えているなら、これが戦闘中なら、身体全体で体重をかけても無駄だ。
それ程に、サイファーのバランス感覚と筋力は凄い。絶対に俺が押し倒せない確信がある。
でも今は違う。
動揺と油断でぐずぐずの内面のままに隙だらけ。とてもいい。
「サイファー」
絶景だと思う。
寝台の下で、俺に押し倒されているサイファーの姿。押し倒した時に乗り上げて、片膝を両足の又に配置したから、さぞかし邪魔だろう。
隠せるものがないから、サイファーの顔もよく見える。羞恥心からだろう。目元が赤らんでいる顔が、本当に美味しそうだった。
視線だけは鋭くこちらを睨みつけて来て、それが余計に興奮する。
あれだけやったのに、まだ俺は枯れないらしい。
「てめぇっ」
「サイファー、本当に俺は嬉しい」
「やめろ!勝手な想像で喋るなっ!」
「想像じゃない。試してみるか?」
サイファーの視線が、いつもは自信に満ちてる眼差しが、不安定にゆらゆらと揺れる。
……駄目だろ、サイファー。俺の前で弱った姿を見せたら。
そうなるように動いたのは俺だけど、実際に見てしまうと我慢できない。
まだ食べたい。
まだまだ食べ足りない。
だってずっと我慢してきた。
ずっとずっと、待ち続けていた。
「絶対にあんた、昨日より楽だし、気持ちがいいと思うが?」
ぐっと、悔しそうに歯を噛みしめるのが分かる。
自分の身体の事だ。俺に言われなくても、サイファー自身が既に実感しているはずだ。
「なぁ、サイファー」
初夜の時に、受け入れてくれた。
過去を思い出した俺を、それを盾に迫る俺を、許してくれた。
嬉しかった。
でも本当の意味で、俺はサイファーとずっと一緒にいたい。
どんな血筋であっても、どんな生まれでも、どんな事をしたとしても。
俺にとってサイファーは、ただのサイファーだ。
だからこそ、他の人間に渡したくない。
サイファーを利用する人間に、サイファーの秘密を暴くような奴に、渡したくない。
こんな仕事をしている以上、覚悟はある。
それでもと、願う事はできる。
例え、一緒に生きていけなくなる事があっても。
例え、途中で道を違えて、別れてしまっても。
「一緒に、死んでくれ」
死ぬ時は一緒がいい。
俺の首を落とすあんたを、俺が殺してみせるから。
―――――――― ▼ ――――――――
首元に顔を寄せて、歯を剥き出して噛んでくる見知った男。
勢いよく噛んだ所に歯形があると分かる。それ程の勢いで噛んだ急所を、獣が毛づくろいするように舐めてくる。
……本当に、ふざけるなよ。
腹の底から茹るような怒りも、上から蹴落としたい恥も、何もかもが一周回って呆れに代わってしまった。
こういう時に垣間見る、こいつの馬鹿さ加減と、無自覚の狡賢さが嫌いだ。
先程の言葉だって、言葉が足らなさ過ぎて、まるで心中を願うキチガイの言葉だ。
……たぶん、一緒に生きて死んでくれって事だろ。
スコールの脳内愉快劇場が、口から出力されない欠点だけは、どうにかして欲しい。突拍子もない、前後が抜け落ちたスコール言語を翻訳する為に、時々こちらを見られる身にもなって欲しい。
「サイファー」
俺の胸に頭を押し付けて、こちらを見上げてくる甘ったれた顔。
絶対に離さないというように、全身をこちらに押し付けてくる傲慢な姿。
嫌なら、蹴り落とせばいい。
けれどそれを実行しない事を、見抜いている優越感に満ちた眼差し。
全身で、今が嬉しくて幸福だと訴えてくる、その有様がどうしようもない男に見える。
「お前、本当に」
責任を取れと言われた。
だから責任を取った。
しかし、それ以上に呆れてしまう。
英雄と称される男が、どうしようもない選択肢を拾って、それを後生大事に握りしめている光景が馬鹿らしい。
「本当に、救いようがねぇ」
よりにもよって、俺を選んだお前の趣味の悪さが。
俺が時々、死を思う逃げ道さえ、頑丈に塞いでいく。
色々と考えていた事も馬鹿らしくなる。自然と全身から力が抜けて、抵抗もしない。
「やっと」
俺と無縁になるという、発想さえないのだろう。
こんな死にぞこないの荷物、捨てちまえと思うのに、それでも握りしめて離さない。
……本当に、これは救われない。
お膳立てされ、走る事を望まれた運命から解放されたのに。
その運命の道具に執着するお前には、きっと俺様の感情さえお節介なのだろう。
こちらの感情なんて、もう知った事ではないのだろう。
だから、もういいか。
「やっと俺だけのモノだね。サイファー」
遠い昔に、見たことのあるような表情で。
どこか懐かしい、遠い失われた過去に聞いた口調で。
俺を掴んで握りしめて、美しく微笑む獣がいた。
本当に嬉しそうな表情に腹が立ったので、アイアンクローで返礼した。
油断していたのだろうが、しっかりと技が決まって嬉しい。
俺の上でバタバタされるのは苦しいが、別にいい。安定感の無い場所で、どうやって足掻くのか見物だ。
それはそうと、落ち着いたら何か作りたい。
この馬鹿が飯を食う姿は、嫌いではないから。
でも今は、こいつの嫌いな物を口に突っ込んでみたい。
……待てよ。これは何が嫌いだった?
俺様が優秀なばっかりに、色々と克服させちまったような気がする。
嫌いな物をさり気無く口に突っ込み続けた日々を思い起して、地味に難易度が高い事実に気付く。自分でこれの仕返し難易度を上げてどうする。
……なら、何を作ろうか。
ぼんやりと考えている間も、俺の上で足掻く姿が面白い。
片手で俺の腕を外そうとしているが、もう一つの腕は俺が抑えている。両手ならまだしも、片手の腕力勝負で負ける気がしない。
手の向こうから何か呻き声が聞こえるし、腕を外そうと奮闘している。
「ははっ!」
苛立ちが最高潮の舌打ちが聞こえてきたが、きっと気のせいだろう。
甘んじて受け入れてくれよ。
それで数年分、俺様を忘れたことを、チャラにしてやるからよ。
序でに俺様の大切な情報を、勝手に暴いた事もな。
「サイファー!」
……なぁ、スコール。
仕方がないから、全部許して付き合ってやる。
だから死ぬ時までに、立派な〝俺様の主〟になってくれよ。
……そうでなければ、俺様は、俺の魔女の所に逝っちまうぜ?
やっと腕を顔から外して、不機嫌そうに睨むクソガキに、笑いながら口づけた。
自分なりの、誓いのキスってやつを。
一生、教えてやらないが。

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