❖ 指揮官専属グルメ・LEONHART - 2/6

 

✟ みかんの牛乳寒天 ✟

 

バラムは島国であり、海藻を食べる文化も根付いている。
何よりも漁船のスクリューに絡まる海藻は、昔のバラムの漁師が頭を悩ませた大問題だった。
今では違う。
海藻が食料資源になった事で、透き通るような海と、美味しい豊富な海藻と、海藻の加工品が市場を巡り、他国にも輸出されている。
その最もたる代表例が、バラムの寒天だ。
特に粉タイプは、手軽にゼリーを作れるお手軽加工品として、国際シェアに%表記されるぐらいに出荷されている。
個人的に寒天デザートの中で、一番好きなのは牛乳寒天だ。
バラムガーデンの食堂メニューにも、昔から牛乳寒天はデザートとして出てくる事がある。その時は、透明なカップに入っていて、いかにも牛乳寒天だとわかる見た目をしている。
……正直、足りねぇ。
無性に牛乳寒天が食べたい時に、食堂で出てくる1カップ分では、到底満たされない。
本当に、無性に食べたい事がある。
記憶を遡っても、心当たりはない。
ただ凄く懐かしい気分になるし、雑に作っても美味いし、量も沢山作れる。
手軽で量が作れるデザートとしても、個人的に一番好きだ。
なので、作る。
満足できるぐらい食べられる分を、自分で作る。
冷蔵庫から、よく見る1リットルの牛乳パックを取り出す。細長いそれを掴んで、振ってみる。今まで飲んだ量を考えれば、残りはだいたい半分のはず。
これぐらいで丁度いい。
ボウルを取り出して、牛乳を全て投下。ラップで蓋をして、電子レンジへ。人肌に温まる程度の、弱い設定で加熱する。
片手鍋を引っ張り出して、適量の水を鍋へ。分量通りの粉寒天も投下。
コンロに火をつけて、水が沸騰するまで放置。
その間に、買ってタイミングを逃していた、みかんを引っ張り出す。スコールに出す前に出張が決まったせいで、一人でちまちま食べている。
その残りのみかんを、全て引っ張り出す。
みかんの皮を捲り、ある程度薄皮も剥ぐ。面倒だが暇潰しにもなるから、良しとする。今度は缶詰を買おうと、頭の中にメモを書く。
沸騰した湯の中に、粉っぽさがない事をチェック。ここで砂糖を放り込む。
その後に、電子レンジから取り出したボールから、人肌に温まったはずの牛乳を加える。
混ざったらコンロの火を消して、片手鍋を鍋敷きの上へ。
下処理をしたみかんを、適当に投下。
ここで何もかもを無視するなら、このまま冷蔵庫に入れて、最低一日は冷やせばいい。
牛乳寒天のフルーツが偏るのが嫌なら、容器を冷やしながら丁寧に牛乳寒天の液を入れればいい。
……めんどくせぇ。
チマチマやるのは性に合わない。
ましてや牛乳寒天だ。パッとやってすぐに食べたい。
……またこれで行くか。
空の牛乳パックを、左手で掴む。
お玉で掬った牛乳寒天の液を、ある程度パックに注げば、自立して立つ安定感になる。
頭の中で、使用する用途の演算を開始する。
攻撃に使う時とは違う。日常で使用できる程に、触れれば壊れるような緩さ。演算をしっかり組むのではなく、解けそうな軽さで編む。
本来ならば、対象の頭上に氷の塊を落とす、冷気属性の攻撃系疑似魔法。
それを、意図的に〝間違えて〟構築する。
指定ポイントを頭上ではなく、自らの左手に。
氷の塊ではなく、塊に成り損なった冷え冷えとした氷の息吹へ。
右手の指を鳴らして、
「ブリザド」
唱えた疑似魔法が、‶間違えた部分のみが出力〟されて、不発する。
左手に持っていた牛乳パックが、緩やかに冷えていく。
軽く傾けると、牛乳パックの中身の動きが遅くなっていく事を確認しながら、鍋の中身をどんどん移し替えていく。
何年も行ってきた事だ。手際が良くなった自覚はある。
氷水で冷やしながら入れた方が、果物のバランスが程よく配置される。昔、果物が偏りすぎて失敗した時に教わった一手間だったが、正直面倒だった。
面倒だったので、疑似魔法でやってしまったら出来たので、今はこちらが主流だ。
……やっぱ便利だよな。疑似魔法は。
使用理論の演算式は、こういうちょっとしたアレンジがしたい時に強い。
ドロー式の疑似魔法は、0の失敗か、100の成功でしか発現しない。ドローして引っ張る為に、指定の型に入れて引っ張るからこそ、アレンジも融通も利かない。
使用理論は威力が低い、役に立たないと言われることが多いが、利用方法によっては便利だ。起死回生の一手になる事だってある。
……個人的には、便利なら何でもいい。
牛乳パックを振る。液体のように揺れない事を確認して、冷蔵庫にそのまま入れる。
そこそこ冷えた頃に食べよう。

 

―――――――― ▼ ――――――――

 

……しまった。
昨日の夕方に仕込んだ牛乳寒天を、今の今まで忘れていた。
一日で食べられるように、疑似魔法まで行使した意味がどっか行った。
今日の仕事は午前中のみだった。さっさと仕事を終わらせて、昼食は簡単に済ませた。今日の夕方には、帰ってくる問題の男がいるからと、掃除と洗濯も終わった。
一息ついて、やっと牛乳寒天の存在を思い出した。
時計を見れば、午後3時を示している。
……食べるか。
迷う事もなく、冷蔵庫から牛乳パックを取り出す。
クリップで止めていた口を開いて、まな板の上でパックを横にする。
ゆっくりと傾ければ、牛乳パックの形に固まった牛乳寒天が、ぬるんっと出てきた。
包丁で適当に斬り落とせば、正方形のような牛乳寒天が出来た。
残りは、また次のお楽しみという事で、牛乳パックに戻して冷蔵庫へ。
斬り落とした分を小皿に乗せて、ソファーに移動する。
大きな偏りもなく、程よく疎らにみかんの果肉が配置された、正方形の牛乳寒天。
適当にスプーンを差し込んで、口に放り込む。
噛みしめれば、味は当たり前に牛乳寒天の味だ。みかんの甘酸っぱさと、仄かに甘い牛乳寒天が口の中で広がる。
……普通だ。
特別に美味しいわけではない。特別なデザートというわけでもない。
ただただ、普通に日常的に食べるデザート。それが、どこからか安心感を与えてくる。
自己満足で食べ進めていると、寮室の扉が開く音がした。
予定時間より早いなと思いながら、そのまま牛乳寒天を食べていく。
「ただいま」
「おかえり」
「一口」
「…………」
これからある意味、一線を交える相手だ。慣れあいはしたくない。
ただ、帰ってきたこれが、どこか疲弊した顔をしているから仕方なくだ。絆されたわけではない。
……ただの気まぐれだ。
一口分を掬って、スプーンを差し出す。遠慮なく大口を開けて、牛乳寒天を食べたスコールの顔が、見てられないような表情で惚けた。
死んだ魚の目の色が、キラキラと星が煌めくような、美味しいと感情を剥き出しにした顔。知らない相手に二重人格と言われても、納得される落差。
……そこまで?
そこまで美味いのか、この牛乳寒天が。
どういうことだ。
ここ三週間のエスタ出張で萎びたスコールに、エスタの食文化に一抹の不安を感じながら、牛乳寒天の残りを食べ進める。

 

「サイファー」

 

ソファーの隣が、軋んだ。
無視をして牛乳寒天を食べ進める。
「サイファー、話をしよう」
視線が合った。
こちらを真剣に見つめてくるスコールを見ながら、牛乳寒天を口に放り込む。
咀嚼しながら見つめると、どこか呆れを含んだ顔でため息をついている。
……余裕がねぇなら、明日にすればいいだろうが。
エスタ出張の帰還直後に、この俺と一戦交えるつもりなのが、間違いだと思う。
ガンブレードを振り回す一戦ではないが、口喧嘩で負けるつもりはない。
休憩してからでも話し合えるだろうにと、頭の片隅で考えていると、スコールは一つ頷いた。
脳内の愉快劇場が終わったらしい。
「サイファー、出張前の話だが」
もうこの言葉で、何の話題か察しがついた。
「色々考えたが、やっぱり俺と一緒に卒業しよう」
「…………まだ言ってんのかよ、お前」
「何度でも言うぞ、俺は」
……正直、うんざりしている。
卒業単位に必要な授業に、スコールに付き合って出席している現状も面倒臭い。
あの狸が言うならば、学園長という立場上そうだろうなと思う。
けれどスコールが、俺の卒業に拘る理由が分からない。
俺が卒業しようと、卒業しなかろうと、この身はきっとバラムガーデンに繋がれたままだ。そうであろうと俺は考えている。そして、それに抗うつもりもない。
俺は、俺の仕事を終えた。
これ以上の人生は、余暇にしか感じなかった。

 

「サイファー、真面目な話だ」

 

脳が横道に逸れる事を許さないように、真っすぐ視線が突き刺さる。
正直、自分が言う事は何もない。
「真面目ねぇ?」
「真面目だ」
座っていたソファーの上。その隣に座っているスコールから、煩い気配がする。
ジリジリと焼け付くような、焦げるような熱視線。こちらを見ろと煩い視線に、仕方なく顔を向ける。
「あんたは一度、バラムガーデンを退学処分になっているから、卒業資格を取るつもりはないんだろう。違うか?」
……なるほど。
その考えは、間違ってはいない。
確かにそれも考えている。一度離脱した身だ。卒業資格を取るという考えが、そもそもない。
それ以前に、バラムガーデンに帰ってくるつもりもなかった。
「それでも」
次に言われる言葉は、想像する事もなく悟った。
「それでも学園長も、まま先生も、あんたに卒業して欲しいんだよ」
……だろうな。
あの二人なら、きっとそう思う。
そう思うと理解しているから、俺は卒業するつもりがこれっぽっちもない。
「俺も、あんたに卒業して欲しい」
……そこが理解できない。
どうしてスコールが、俺の卒業を願うのか理解できない。
もう〝覚えてすらいない〟癖に。
「例えば今は、バラムガーデンに繋がれていても」
確かに繋がれている。
色々考えたが、自分の意思で今はここにいる。
いつでも〝行方不明になれる〟から、捕まった身としてはしばらくいると思っているだけだ。
スコールが指揮官として成長すれば、俺も不要になるだろう。
それまでは居てやるかと、そう考えているだけで。
「また国際情勢が変われば、あんたがバラムガーデンから飛び出せる日も、来るかもしれない」
未来予想図を語られた所で、それがどうしたという感想しかない。
スコールは、未来で語られるが。
俺は、未来でも語られない。
語られる必要がない。
「でもその時に、バラムガーデンの卒業生という看板は役に立つはずだ」
こいつが言う事が全て、的外れで笑えてくる。
そして、俺が卒業したとして。
……お前は、どうするつもりなんだよ。
知っている。
スコールがSeeD任期満了の25歳までに、仲間たちが将来を自由に選択できるように、足掻いている事を。
知っている。
スコールが、自分はこのままバラムガーデンに繋がれるように、動いている事を。
そのために、リノアと別れた事も。
知っている。
だから、もう理解している。
何年も前から、
あの日から、
ずっと理解している。

――――これは、‶俺のライバル〟ではない。

あのライバルなら、そんなこと〝口が裂けても言わない〟はずだから。
ならば、もういいか。
もう、待つのをやめてしまってもいいだろう。
十分だ。
今の、石の家の頃を知っているだけ。
俺を知っている、今のスコールで十分だ。
十分に、贅沢な気持ちを味わっている。
だから、もう諦めてもいい頃だ。

 

―――――――― ▼ ――――――――

 

聞いているのか、いないのか。
我関せずとデザートを食べていた手が、止まった。
「……お前」
やっぱり、と。
続きが声にならないまま、サイファーの唇が動いた。
きっと、無意識に。
能面のような表情が、どこか冷めていくような瞳の熱が、サイファーの中で目まぐるしく情報を整理している事がわかる。
そして、俺にもわかる。
サイファーが何を考えているのか、やっとわかった。
恋愛的な愛が分からないのは、そうなる前に関係性を捨てられたからだ。
きっと自惚れでもなくて。
勘違いでもなくて。

 

――――〝俺が好きだったサイファー〟を、〝記憶を無くしたスコール〟が切り捨てたから。

 

G.F.と相性がいいと言われて、肉体的なコンプレックスがある俺は、率先してジャンクションをしてきた。
置いていかれたくなくて。
追い付きたくて。
……あんたの隣に、並びたくて。
それが結果として、俺自身の記憶を削って、何のために必死に頑張ってきたのか忘れてしまった。
始まりは、エルオーネを見つける為に世界中を旅するべく、一人で生きていける力を求めて。
次は、あんたに置いていかれたくなくて、追い付きたくて、あんたの目に映りたくて。
誰に負けても、自分が選んだライバルである〝サイファー・アルマシー〟にだけは負けたくなくて、並び称される力を求めた。
……辿り着いたのは、一人で生きる為に誰にも負けたくなくて力を求める事。
どうして一人で生き抜く力を求めたのか。
どうして置いていかれたくないのか。
どうして負けたくないのか。
その全てが、ジャンクションの副作用で流れて行ってしまったから。
……全部、忘れてしまっていた。
全てを思い出したとは言い難い。
でも、サイファーと同居している中で、だんだんと思い出した記憶の断片はある。
それを思い出す度に、本当に苦しくて。
想像するだけでも、自分の有様に吐き気がする。

何度でも、俺はサイファーと約束をしたんだろう。
何度でも、俺はサイファーと話をしたんだろう。

石の家から一緒に来た仲間と話していたのに、ある日突然に〝石の家の話〟が通じなくなった俺に、サイファーはどう思ったんだろう。
少し前に一緒に行こうと約束した事を忘れてしまった俺を、サイファーはどう思ったんだろう。
サイファーを仲間としてではなくて、まま先生を知る相手でさえなくなった俺を、サイファーはどう思ったんだろう。
小さな忘却と、
大きな裏切り。
それを、延々と積み重ねて。
おそらく俺の有様を見たから、サイファーはジャンクションの仕組みに気付いて、結果的にジャンクション嫌いになったんだ。
だから、サイファーは根本的に俺を恋愛対象として、長く付き合うパートナーとして、信用していない。
信用しきれない。
……また忘れられると思っているから。

 

「なんて、言うと思ったか?」
「…………は?」

 

だから、それを否定する。
俺のせいで、俺を諦めたあんたを、俺が否定する。
自分勝手だと分かっている。
分かっていて、否定して。
驚いた目でこちらを見るサイファーの腕から、デザートの入っていた小皿を奪い取る。放り捨てたい気分を堪えて、机の上に置く。
これで、邪魔な物もなくなった。

「あんただけは」

確かに、あの時一緒に戦った仲間の為に、未来の選択肢を増やす行動をしている。
SeeDの任務満期年齢を引き上げたのも、人手不足もあるが、その頃ならば未来の選択肢が増えるから。
そして30歳以下ならば、G.F.のジャンクションの副作用も致命傷に成りえない。それ程に、急速にジャンクション技術が進み始めている。
でも、あんたは違う。
サイファーだけは、どうしても見送れない。
見送れるなら、サイファーを捕まえようと思わなかった。
諦めと妥協で俺の腕の中に入るあんたなんて、見たくもない。
だからエスタまで任務を理由に走って、エルオーネに願い出て、最終手段まで使った。
過去の俺と、過去のサイファー。
何もかもを掴み取って、ここまで帰ってきた。
そのやり取りを、俺があんたとの話を、今も忘れているという事実を否定する。

「あんただけは、絶対に逃がさない」

呆然とこちらを見つめる男を、じっと見つめ続ける。
……思い出したよサイファー。
だから、俺はあんたの未来を、将来の選択肢を食べてきた責任を取るし。
あんたも、記憶力が滓になった俺を、何度でも甘やかした責任を取るんだよ。

「どこに行こうとも、何をしようとも」

そんな生易しい感情で、俺が提案していると思っているのだろうか。
優しい感情で提案なんてしていない。
シド学園長に言われたからじゃない。
俺が、俺の目的の為に、あんたを卒業させるんだ。
俺がサイファーに卒業資格を取って欲しい理由は、誰にも何も言わせない事だ。

――――俺の隣にサイファーがいることに、誰にも文句を言わせない為だ。

そのためには、サイファーに完璧でいてもらわないと。
完璧にバラムガーデンを卒業した上で、俺に鎖を繋がないと。
サイファー・アルマシーは、スコール・レオンハートのモノだって。
例えば、まま先生の呪いが、シド学園長の呪いが、誰かの呪いが全て解けたとしても。

「絶対にあんただけは、俺から離れられると思うなよ」

あんた自身にも、知らしめないと。
未来で何が起ころうと、何処に飛んで行ってしまっても。
あんたの脳に、俺が居続ける程に、傍にいなければ違和感があるほどに。
ずっと長く、
ずっと深く、
ずっと強く。

――――俺に繋がれて、一生呪われてしまえばいい。

だからこそ。
もう二度と、俺から離れないように。
今度こそ捕まえる為に、手を伸ばした。
手を伸ばせる男に、あんたのおかげで成れたから。

 

―――――――― ▼ ――――――――

 

両手が握りしめられて、息が止まった気がした。
左右どちらの手も掴んで、ずっとこちらを見つめている男。
……こいつは誰だ?
目の前にいるのは、スコールだ。
スコールのはずなのに、俺の知らない顔をしている。
怒りに満ちたような、欲望に満ちたような、ギラギラとした視線で俺を見つめてくる。
ひとまず落ち着かせようと、考える頭は最適解を出せない。
体勢を立て直せない。
自分の中で、自分の立ち位置を、明確にできない。
いつもなら即座に立て直せるのに、いつも通りに慣れるのに。

 

「あんたは、俺が自分自身で選んだ〝唯一のライバル〟なんだから」

 

聞こえてきた言葉に、耳を疑う。
その言葉を聞くとは思わなかった。
だってそれは、忘れられた事だから。
スコール自身が忘れてしまった、あの日の――――。
手を開放されて、両手で顔を掴まれる。
両手を両頬に添えられて、目線を逸らすことも許されない。
こちらを仰ぎ見る知らない男は、ギラギラと獲物を見つけた獰猛な目で、うっとりと微笑んできた。
「何度でも言ってやる」
両手が顔から離される。
「他の誰でもない」
目線を逸らせない。
「あんだけは絶対に」
両手が身体を辿るように、下に向かう。
「絶対に、逃がさない」
右手は肩を掴んで、
「俺が手放すと思うな」
左手は、腰を掴んできた。
反応を。
反応を、しないといけない。
反論をしなければならない。
……このままだと負ける。
諦めなかったスコールに、諦めた俺が負ける。
「……っ!」
「サイファー」
そっと囁かれながら、強引に体重をかけられる。
踏ん張り損ねて、一気に身体が押し倒された。
大型のソファーが、勢いよく倒れてきた男二人分の体重に、軋む音を立てる。強かに足を強打して、痛みに呻く暇もなく、強引に唇を奪われた。
舌を入れることがない、触れるだけの口づけ。
大した反応もできないまま、されるがまま呆然としていると、むくりと起き上がった男がうっとりと微笑んでいる。
その視線を、見たことがある。
遠い昔の記憶。

「例え地獄に落ちても」

石の家からガーデンに辿り着き、生活が落ち着いてきた頃。

「あんただけは絶対に」

泣いていた子供が俺を見てきた時の、表情の裏腹の獰猛な視線。

「―――――離さないからな」

もう出会う事はないと諦めた。
俺をそう呼び叫んだ、――――〝本当のライバル〟の目だ。
俺が唯一、〝同胞〟だと認めた者の目だった。

 

―――――――― ▼ ――――――――

 

未来なんて関係ない。
運命なんて関係ない。
そんなものを、横に捨てて転がしてしまえばいい。
俺が人生で初めて、自分の意思で選んだ、負けたくないと思った男だ。
歯軋りするぐらい羨ましい身体を見下ろして、その肉体を構築する、艶やかに張りのある胸筋を掴む。
「んっ」
油断していたのか、ぎゅむりと右手で左胸を揉みこむと、押し倒した身体が微かに震えた。思わず零れた声が恥ずかしいのか、目元を赤らめた顔が、既に美味しそうだ。
そのまま右手を、つーっと筋肉の筋を辿るように滑らせると、どこか感情の置き場に戸惑うように、そっと碧色の瞳が横に逸れたのがわかった。
……逸らしたな?
今までサイファーは、俺から視線を逸らした事はなかった。
いつだって、なんだかんだで視線を向けていた。
それが。
……それは駄目だって、分かっているはずなのにな。
脅威から、獲物から、視線を逸らしたら駄目だ。
それは負けを認めるという事だ。
立派に鍛えられた、形の整った腹筋に右手を這わせて、そっと力を込めて押す。それだけで、ふるりと腰を震わせた男に、思わず唇を舌で舐めてしまう。
ぐっと身体を近づける。押し倒すというより、圧し掛かるような体勢に変える。
伸し掛かられているはずなのに、重たいとも苦情を言う事もなく、それどころか支えるようにビクともしない身体に、内心で舌打ちする。
……本当に、羨ましい。
羨ましくて妬ましくて。
全部、食べてしまいたい。
「サイファー」
「……っ」
べろり、と舌で耳を舐めてみる。興奮で溢れた唾液で、思ったよりべたべたになったけど、何も言われなかった。重たくなりかけた腰も、押し付けるように重ねる。
もうわかっているはずなのに。
俺が、あんたに何をしたいのか、理解しているはずなのに。
それでも、サイファーは逃げなかった。
逃げることも抵抗することもなく、先程の何もかも諦めた視線が嘘のような、熱でとろりと溶けた瞳で、こちらを見ている。
……あんたそれで、俺に食われるのが嫌とか、嘘だろ。
愛とか恋とか、そういう感情を理解するのは二の次でいい。
そもそもの話として。
俺とあんたの間に、言葉で表現できる関係性なんて存在しない。
お互いの感情も複雑だし、関係だって複雑骨折しているぐらい滅茶苦茶だ。
だから結局の所、俺たちの関係性なんて後からついてくる。
だから今必要なのは、一つだけ。
受け入れるか。
拒絶するか。
その選択肢で、十分だと俺は思っている。
あんたもそうなんだって、思っている。
「サイファー、いい?」
「…………」
答えは沈黙。
ただ、こちらを伺う目は、ドロドロの感情で煮詰まっていた。
それが美味しそうで、ごくんっと生唾を飲み込んだ。
抵抗されない事を自信に変えて、ぶちぶちとルームウェアのボタンを外していく。
返事がない。
でも、蹴り落とされないなら、もうそれは答えだろうが。
「……最後まで、しないから」
サイファーを今すぐに食べたい気持ちはある。
だが何一つ準備をしていない状況で、最後までしたくはない。
確実に、次の朝を迎えることなく、自分の首が飛んでいる未来しか見えない。
頭はぐるぐる考えていても、両手はとても欲望に忠実だった。
ボタンを外し終わったルームウェアの前を開ければ、綺麗な胸筋と腹筋が見える。
……本当に、頭にくるぐらいに羨ましい。
俺もこれぐらい鍛えられた、男らしい肉付きの身体が欲しい。本当に、真面目に欲しい。
女顔だなんだと言われる事は諦めてきたが、女に間違えられるのは死ぬほど腹が立つ。
というか、俺のこの身体で女に間違えるな目が腐っているのか。
「……した」
「なんだ?」
じっくりサイファーの身体を鑑賞しながら、意識が明後日の方向に暴走し始めて、不覚にもその言葉を聞き逃した。
魅惑の胸筋から顔を上げて、視線を向けた先。
様々な感情が溶け込んで、怪しい光を零す碧色の瞳が瞬きをする。
女らしくはない。
どこからどう見ても、男の姿だ。
だから、

「……準備、したって言ったんだよ」

ぼそぼそと零された、男らしい言葉に。
その意味を脳が理解する前に、不覚にも意識が飛んだ。

 

―――――――― ▼ ――――――――

 

真顔で、スコールがこちらを見ている。
全ての表情が抜け落ちたような、それなのに視線はギラギラと殺気を放ってこちらを見下ろしている。
何一つとして、反応がない。
聞こえているのかも分からず、少しだけ腹が立った。
「準備、できたはずだっつってんだよ」
……ただでさえ腹が立つのに、何度も言わせるんじゃねぇよ。
思わず舌打ちをして、睨みつける。
視線の先で、スコールの表情が、見る見る変わっていく。
無表情だった顔は、目は驚きに見開かれていく。
信じられないものを見るように、まじまじと見つめてくる視線が、居心地悪い。だからその視線から逃れる様に、口は勝手に言い訳を紡ぐ。
「初めてだからよ。本当にきちんとできたか分からねぇよ」
「いや違うそうじゃない」
「は?」
「サイファー、あんた、本当に」
スコールの声が、一段と低くなった。
手を合わせる様に、両手を拘束される。全身に圧し掛かるように、身体が密着していく。
その重みが少し腹が立ち、視線を戻して後悔した。

――――欲望に満ちた獣がいた。

興奮からか、目元を赤らめて、はぁはぁと荒い呼吸をしている。
時折垣間見える、女顔から予想できない程に、男くさい表情でゆっくりと舌なめずりをする。
その様を、まざまざと見せつけられて。
幾度も見たことがあり、幾度も静止した仕草に、身体が自然と強張ってしまう。

「サイファー」

それでも、もうきっと止まらない。
止めるつもりはない。
でも、だからこそ。
今度はしっかりと、理解できる。
自分が、獣の背中を押したのだと。
そして失われた事を諦めなかった男に、取り戻す事を諦めた自分が敗北した事を、素直に受け入れた。

「責任、取れよ」

幾度も囁かれて、聞かされ、訴えられた言葉。
耳に馴染んでしまったその言葉に、自然と頬が赤らむのが分かった。普通に最悪だ。羞恥心が天元を突破突破しそうで苦しい。
心臓が痛むのではないかというほどに、鼓動が煩い。
なんでこんなことをしているんだと、幾度自分自身に文句を言った事だろうか。
やめちまえと、思ったことだって、幾度もあった。
それでも。

「……だから、とってるじゃねぇか」

責任を取れと言われる程の事を、した覚えはない。
それでも。
こいつが責任を取れと、切羽詰まって言うのならば、きっと何かをしている。
そしてその何かが、こいつの頭の中に刻まれて、色褪せないならそれは。
もう二度と、こいつに〝忘れられない事〟が、刻まれたのならそれは。
スコールに、〝俺が忘れられないような事〟が、脳裏に焼き付いたのならそれは。
胸に抱いた、仄かな暗い喜びを胸に隠して、見つめた先。
昔から知る男は、まったく知らないような顔で、笑っていた。

「上等だ」

頭から丸かじりにする獣の様に、襲い掛かってきた男を、抵抗することなく受け止める。
未経験なので、何をするのか知識として調べた。
ティンバーで遊んでいた頃に、そういう意味で誘われた事もあるが、面倒が多そうだし興味がないので捨てていた。
そんなことをしているよりも、戦っていた方が何倍も気持ちよかったし、楽しかったから。
だからこそ、実践したことがない。
なので実感が湧かないまま、貪るような口づけに、ただ目を閉じた。
ただ、何かが破れた音がした気がする。
……後で殴ろう。

 

―――――――― ▼ ――――――――

 

我ながら、性急すぎる自信がある。
逃がしたくなくて、強引に抉じ開けた口の中を、縦横無尽に弄繰り回す。
戸惑う舌を巻き添えに、溢れる唾液を何度も流し込む。溺れないように動く男らしくて腹が立つ太い喉の動きさえ、自分を呷る材料にしかならない。
申し訳ないとも思わず、ルームウェアの下を性急に下げる。ギッ、と布が軋んだ音がした。もしかしたら破いたかもしれない。
興奮したまま下に潜らせた指が、そっと触れたものの感触に、自分の心臓が跳ね上がった。
言葉が正しい事を、理解してしまった。
唇を離せば、だらっと唾液が糸を引いた。サイファーが軽く頭を上げて、深く呼吸する様子さえ美味しそうだ。
ぜぇぜぇと荒い呼吸を繰り返して、瞬きをした碧色の瞳が、快楽に染まってこちらを窺っていた。
今まさに、目の目で。
食べたくて仕方がなかったデザートが、皿の上に盛り付けられた事を、痛い程に理解した。
興奮しすぎて、あらぬところが、痛いぐらい。
もう我慢できない。
我慢したくない。
涎を滴らせてしまった大口を開けて、その太く男らしい喉仏に食らいついた。
「――――ぁっ」
小さく零された声が、耳に心地いい。
「サイファー」
名前を呼べば、視線がこちらを向く。
自分より人種的に白い肌が、薄っすらと染まった頬が、美味しそうで。

 

「いただきます」

 

そっと耳元で笑うように言えば、サイファーの身体が微かに震えている。
抵抗は、されなかった。
「ん」
小さく零された、子供のような声だけが、返答だった。
それで十分だった。
十分すぎるぐらいの、肯定が嬉しくて。
諦めでも妥協でもなく、心の底から自分に堕ちてきた男が、溜まらなく嬉しくて。
我慢をしなくていい事が、本当に嬉しくて。

後はもう、頭の先から爪先まで、貪り食らうだけだった。

 

 

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