最初に考えたのは、自分が誘拐された可能性。
浮かんだ考えは秒速で却下し、脳内で床に叩きつける。
疲れが蓄積されたのか、最近重たいと思っていた身体は、凄くすっきりと軽く感じる。
ご丁寧にかけられていた布団を捲る。
ふんわりとした柔らかく、サラサラな生地は、バラムガーデンの寮室備品ではない事を示している。つまりそこそこ高級品。
自分の身体を受け止めていた寝台は、柔らかすぎず、固すぎない。
その絶妙な加減の反発と、何が何でも身体を受け止めて休ませる気概に満ちている。つまり高級そう。
現実逃避をしそうな頭を回して、天井を見る。
美しい木目だった。つまりこの家は木造建築かそれに類する素材を使った場所。
バラムガーデンではない。
「…………」
ゆっくりと起き上がり、ざっと室内を見て、深呼吸。
寝台のサイドテーブルを始め、家具は統一感のある木製家具。どことなく落ち着いた雰囲気で纏められていて、豪華な部屋という印象はない。
落ち着けること、休ませることをコンセプトにした部屋に見える。
つまり。
「……宿泊施設、か?」
思考を纏める為に、口から零れた言葉が空気に溶ける。
耳を澄ませても、街中の雑音は感じない。バラムガーデンにいた時のような、無数の気配も感じない。
ただ静かな空間だけがある。
……考えても、埒が明かないな。
寝台から出る。
いつの間にか、着替えらせられていたらしい。ゆったりとした見知らぬルームウェアを脱いで、ご丁寧にハンガーラックにあるいつもの一張羅を身に着ける。
他にも、見知らぬ服がハンガーにかかっている。目測で見ると、サイズはあっているようだった。
序にぐるりと部屋を見渡すが、武器はない。
身支度を整えて、慎重にドアノブを回す。
雰囲気から考えて無駄な警戒だとは思うが、念の為に動いておこう。
扉の向こう側は、普通にダイニングキッチン付きのリビングだった。
視界に入った限り、部屋はリビングを中心にして、個室や玄関に繋がっているらしい。その一方で、開放感のある大きな窓が―――――。
「…………」
身体が反射で動いた。
窓の外枠を力の限り掴んで、思いっきり横にスライドする。
丁度良く、風が通ったのか。ぶわりと強い風が全身を打つ。一瞬だけ目を閉じて、もう一度開いた時には、大窓から外に出ていた。
ご丁寧に、サンダルまで完備されているから、それを履いて外界に出る。
じりじりと強い、夏の日差しが頭上から降り注ぐ。
……そういえば、夏だったか。
思えば目の前の男は、バラムの立地で考えれば冬生まれなのに、夏も似合う男だった。
少し歩いた先で、座り込む姿の背後に立つ。
「何してんだ、あんた」
「釣り」
いつもの一張羅。その白いコートを脱いだ姿で、地面に座り込んでサイファーが釣竿を握っている。
彼の座っている場所は、特徴的だった。長年の川の流れて側面が抉られた結果、ちょっとした崖のようになった地面だ。
こんな特徴的な場所で、川釣りをしていたらしい。
川岸とは言え、ちょっと距離があるが釣れるのだろうか。
ちらりと隣に置かれているバケツを見れば、そこそこ釣れているらしい。釣りが得意とは言い難いサイファーにしては、珍しいかもしれない。
……違う。そうじゃなくて。
「違う。そうじゃない」
「あ?」
夏の日差しの強い中、帽子も日傘もなく、何してるんだと言いたかった言葉を飲み込んで。
一番の疑問を、なんとか口にする。
「どこだここは?」
見知らぬ寝台で目を覚まし、見知らぬ場所を探索して、建物の外を見たらのんきに釣りをしている見知った男の背中が見えた。
危険がない事は、理解できた。
「どこだと思う?」
疑問に対する答えは、くつくつと喉の奥で笑う男しか持っていない。
持っていないのに、まだ答える気がないらしい男の頭は、きっと殴っても許されるはずだ。
―――――――― ▼ ――――――――
不満そうな顔を隠しもしない。
答えないこちらにイラついている事も、手に取るように分かった。
ここは、エスタ首都に本店を構える、観光企業の有するプライベートアイランド。つまり会社所有の島だ。開発は最低限に行い、自然環境をほぼ8割は残している。
十分なモンスター除けのシステムも張り巡らしており、定期的にモンスターが上陸していないか管理と殲滅も行っている。その為、襲撃の可能性もほぼない。もしもあったら、運がなさ過ぎる。
立地場所としては、エスタ大平原にほど近いミルフィーユ諸島近辺にある、地図にも載らない小さな島だ。
エスタ大統領の依頼を受けて、観光会社がここを準備期間含めて一週間の貸し切り。準備が終わったタイミングで、宿泊コテージの鍵を渡されて、即座に出発。
この島に放り込まれたのが、早朝5時頃。
スリプルを丹念にかけられて、途中で目覚めることもない。すやすや眠らされたスコールを背負って、静かに降り立った島。
コテージの鍵を開けて、スコールを個室の寝台に転がして、荷造りをする。太陽が昇ってきた頃に準備が終わった。
まだ寝ているスコールを置いて、周辺探索に出て軽く日光浴。
コテージに戻って朝食を食べてから、やはり寝ているスコールを放置して、のんびりと川釣りをしていた。
これだけ色々と世話をしてやったのだ。少し意地が悪くても許されるだろう。むしろ殴っても許されると思う。俺様優しい。
かといって、場所を教えるつもりは、今の所ない。
俺の依頼人を教えるつもりも、今の所ない。
……そもそもとして。
「お前、最近のスケジュール覚えているか?」
「…………?」
眉間にぐっと皺を寄せて、不満そうな顔をしていた男が軽く首を傾げる。
「仕事していたが」
「休日は?」
「……え?」
「最後に休んだのはいつだ?」
「……………………」
うろうろと視線をさ迷わせて、沈黙した男の様子に、溜息を付く。
この状態では、自分が最後に仕事を休んだ日が、三か月前だという事も自覚していないらしい。
「狸からの伝言」
「……?」
「五日は休んでくださいね、だとよ」
「……………つまり?」
「俺はてめぇの監視役。お前は四泊五日、ここで豪華な隔離休暇」
「…………嘘だろ」
呆然とした顔のスコールの顔が、あまりにも哀れに見えた。
ざまぁみろと思う事も出来ずに、こちらも深々と溜息をつく。
バケツの中で魚がびちびち動く音と、目の前の川のせせらぎ、周囲の木々の騒めきだけが、この場所が世の中と隔離された場所だと告げていた。

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